昨日、母の60回目の誕生日でした。
みんな仕事で疲れているのにもかかわらず
MUSHIのつくった岩上3兄弟の写真が入ったオリジナルメッセージカードに、
一生懸命想いを綴ってくれました。
みんな、本当にありがとう。
母は昔から元気で明るく、「くそ」がつくほど真面目な性格。
しかもたまに天才的なギャグを噛ます。
昔、貧乏な我が家に、父が知り合いから使わなくなった
「コピーもできるファックス」をもらってきました。
父が知り合いの社長宅に、
「これからファックス送っから、行くかどうか見てくれ!!!」
と、電話した後ファックス送信。そして送信後すぐさま、また社長宅に電話。
「どう。ついたか?」と、父。
するとそれを見ていた母がすかさず、コピー機の扉を開けて、
「お父さん、まだ送れてないよ、紙ここにあるよ。」(茨城弁:語尾上げめで!)
僕と父 「・・・・・・・・・・・。」
すかさず父
「ここの紙、一体どうやって行くとおもってんだ!!(怒)この細いコードの中通るわけあんめ!!!(笑)」
僕 「・・・・・・・。(爆笑!!!)」
母は真面目なんです。「くそ」がつくほど・・・。
三男の達郎がついにメジャーデビューを果たし、
始めて東京までライブを見に行きました。
渋谷公会堂につくとそこはムック一色。凄い光景でした。
開演まで時間があったので、ちょっと近くカフェでお茶しました。
すると突然の豪雨。
最高に気合いを入れてお洒落をしてきた母は、
傘の無いことに気づき、思わずあたふた。
「この雨じゃライブ会場まで行けない!!!!!!」
焦った母は、何を思ったのかそこのスタッフの人に、
「すいません、なんかビニールの、あっ!ゴミ袋でも良いので、譲っていただけませんか?」
カフェ定員 「・・・・・・・・。」
その後しばらくして
「これでどうですか?」
と、東京都指定の黄色いゴミ袋を差し出し、
すると母はすかさず
「ありがとうございます。おいくらですか?」
僕 「!?」
カフェ定員 「じゃあ、1枚200円で!!!」
僕 「!?(ぼったくってるー。←心の声)」
母 「ホントー(嬉)。アリガトー。タクミはどうする?」
僕「おっ、俺はいい。いらないよ。」
母「あっそぅ。じゃあすいません。1枚下さい。」
母はその後、迷いもなく、ゴミ袋をチョキチョキ穴を開けて、
とても嬉しそうに、滅多に着ることのない最高にイケテルファッションの上から、
とよ子オリジナル「ゴミ袋ベスト」を装着。
雨の降る渋谷の街を、堂々と歩いていきました。。
母は真面目なんです。「くそ」がつくほど・・・。
そんな母が体調を崩したのは、4年前の夏でした。
真面目な性格で、「子供の幸せ」を一番に考え、
なりふり構わず働いてきた母が、鬱になってしまいました。
笑顔もなく、無気力。
「仕事だけで人生を過ごしてきてしまった」
と言っても良いくらいの人生を送っていた人が、
「仕事もしたくない」という状態になってしまいました。
食事をしても、人と逢っても、孫が逢いに来ても
「おいしい」とか、「楽しい」
と言う感覚が全くなくなってしまったのです。
顔の表情が全く変わってしまいました。
その時から、父の看病生活も始まりました。
父は、元々太っていましたが、
看病のストレスで、更に体重増加。母はどんどん痩せて、そして父は・・・
悪循環の始まりでした。
本を読んだり、お客様にアドバイスを伺ったり、
いろいろと鬱について調べました。
でも、母の気持ちはいっこうに変わりません。
それでも父は、がんばりました。
「大丈夫、そのうち何とかなる」って言って・・・。
24時間、付きっきりで母のわがままにつきあい続けました。
楽しみだったドライブと、ムックのライブも行かず、
ずっと母が元気になる事をを待ち望んでいました。
3年が過ぎた頃、少し母の気持ちに変化か見えました。
「お店に立って、カットしても良いかも」と言いだしきたのです。
僕はとても嬉しかった。
久しぶりの母の登場に、担当させていただいたお客様も泣いてくれました。
今でもその時のことを思い出すと涙が溢れてきます。
僕は今でも、母の鬱は自分の責任だと感じています。
10年前に突然水戸に戻ってきて、
父と母が築き上げてきた美容室の後を継ぎ、
自分勝手に、展開してきました。
何も言わずに、ずっと母はサポーター役に徹していてくれました。
時代が変わり真面目な母にとって、
「僕の仕事のやり方がずっとストレスだらけの毎日だったんだ」と、
鬱になってしまった母の背中を見て、身勝手な自分を責めました。
そして昨日、60回目の誕生日を迎えた。
仕事で疲れた身体にむち打って、NUSHIとNAOがつくったカードに、
みんな熱いメッセージを書いてくれました。
ACOは「とよ子さんが元気が出るように」と、
黄色いガーベラ60本用意してくれました。
そのガーベラをMACOTO HAIRの魂が詰まったOHANA店のNAOとMUSHIが、
自宅まで届けてくれました。
みんな本当にありがとう。
改めて、「凄い両親の元に僕は生まれたんだ」と実感することが出来ました。
先日、地元タウン誌「machico 12月号」でこんなコラムを掲載させていただきました。
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美意識を持とう。
私の両親は美意識のスペシャリストです。マジ凄いです。
美容師をしながら三人の息子を立派に育てました。
次男は東京青山で「カリスマ」と言われる全国の美容師たちの憧れる美容師に育てました。
三男は日本でメジャーデビューを果たし二回の日本武道館でのライブや、
ワールドツアーをする程のミュージシャンに育ました。
そして長男に「macoto hair」の後を継がせました。
僕は美容室を「美」と言う幅広い視点からとらえ、
美容という枠を超え全国の美容師をはじめ、看護士、薬剤師、スキューバダイバーなど、
美意識の高い人達に感性を高めるセミナー講師の依頼を受ける、
ALOHAな美容師に育ててくれました。
美意識の高い、心豊かな三兄弟。
僕たちの原点は、実家のトイレに今も張ってある、
母直筆のこの詩だと思ってます。
** がんばれ!! **
一生懸命生きても一日は終わります
だらだらと過ごしても一日は終わります。
そう、一日は決まっています。
だれでも、どの人にとっても一日は一日です。
でも、その一日のほんのちょっとした努力がやがて、
その人のみちを大きく変えることだってあるのです。
遠い未来のことを考えるのはよしなさい。
まず今日一日を精一杯生きぬくこと。それからはじめなさい。
「もしかしたら」
という可能性を信じることが「人生」だと
思えるのです。
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毎日のちょっとした「美」を意識する日常が、
豊かな人生を創るのかもしれませんね。
machico12月号掲載コラムより
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1971年に開業した夫婦ではじめた小さな美容室は、
38年が経った今でも、先代から受け継いだ変わらない気持ちがあります。
「おもいやり わかちあい」
この気持ちの大切さに気づくことが出来たのは母のお陰です。
僕はこの気持ちをこれから先もヘアデザインを通じて、
一人でも多くの人に伝えていきます。
おかあさん本当にありがとう。そして、誕生日おめでとう。
一緒に仕事を始めてから、すっかりこう呼ぶことが少なくなりました。
あなたがこの世に誕生して、ハートのやさしい父と出逢い、
そして僕は生まれました。
僕は今、すばらしい仲間や家族と共に豊かな人生を歩ませてもらってます。
「何でこんな貧乏な親の元に生まれてしまったんだ」
そんなふうに感じた時期もありました。でも今は
「この二人の元で生まれて本当に良かった」と実感してます
今までのいろいろな経験を与えてくれたこと。本当に感謝してます。
お陰様で僕は、最高の仕事に就くことが出来ました。
お陰様で僕は、最高の仲間に出逢うことができました。
お陰様で僕は、あなたと同じ、
真面目で家族思いの素敵な妻と出逢うことが出来ました。
本当にありがとう。感謝してます。
父の看病と仲間達のお陰で母は今、少しずつ元気を取り戻してきました。
今年の成人式の着付、とよ子マジックの復活です。
最後まで読んでいただけてありがとうございました。
MAHALO...
TAKUMI
たくちゃん
お元気ですか?
すっごく頑張って来たのですね。
ブログはチェックさせて頂いております。
とても懐かしいです。
機会があれば、お店に寄らせて頂きます。
ばんより
投稿情報: 伊藤 恵美 | 2009年12 月15日 (火) 13:01
退勤直前、会社で読んで、涙が止まりませんでした。
コラム連載の節は、忙しいスケジュールの中ご無理を言ってしまったりしまいましたが…。
一つ一つの出会いは奇跡、感謝の気持ちを忘れずに。当たり前のことですが、私の中で忘れられないエピソードになると思います。
ありがとうございました。
投稿情報: torata | 2010年1 月 5日 (火) 18:48